自主練と底力

今年のmeets.は朝が早い。

何回と触れているが、抱えてるステージの多い人がいるから練習に余念がない(アンサンブルステージ、楽しみにしていてください✨)。ステージの多くないなべちゃんは午前中から、単に自主練と称してワシワシと楽器をさわることにした。

練習とは、えらいもので、決して裏切らない。ハイポジや、指入れを丁寧にスピードを遅くから少しずつ通常にあげる、など、丁寧にさらうと、格段にひけるようになる。そんな話を、練習後のお茶で東京から通うマルチタスクのデキジョが吐露した。一夜漬け、とかではない、組み立てや、前後の流れや、関係性も把握しながらの丁寧な指入れ。

そこに「とーぜんですけどね。練習をすることも、練習が技術にこたえてくれるのも。」と、イケジョがささやいた。

とは言うもののさ。

わかってても、社会人、何やら他にも誘惑が多く、ついつい努力をおざなりにしがちで。

自主練の大切さって、わかりきってても、ついつい話題にしてしまうほど、効果は絶大で。ひっさしぶりに練習にきたセロの勇者は練習にこれなくても、動画見たりとか、指揮者の指示を丁寧に理解しながら個人練習に励むと、僕みたいにスキー漬けでも合奏にはいれるというか、わかってくるんだよね、曲が。とのたもうた。

そのとおり!!

その力こそ、メンバーの持つ底力と言える。

メンバーそれぞれが

やったことがある曲

やってみたいと望んでいた曲

それを脳内再生してるうちになんとなく曲の概要がわかってきていて、合奏で答え合わせみたいになり、わくわくが増す。既存の曲は、そうやって、みんなの底力もあって、楽しさや癒しに繋がる。

これが、今日の練習も、楽しかったね!の八割。

ただ、新曲は別!

イケジョが、ガストでひどくお疲れになりながらちょいもりポテトでドリンクバーを行き来していた。

「今日の練習。す、す、すっごくつかれた。」心中お察しします。でも一回ごとに、奏者に底力がついて、新曲が楽しくなってますよー。

ありがとう!

ありがとうだよーーー!!

本日は、自主練で繰り返し指入れをしたハイポジがスコンとはまり、心地よすぎて、お茶の時のお話しにひたすら頷く水飲み鳥なべちゃんてした!

水飲み鳥なんて知らないでしょー(笑)

ふっふっふつ

空気の振動が音楽になるには

4/6にあった練習は、側近のJMUを見据えた仕上げ練習的な部分と、
通常の演奏会に向けた曲にたいしての奏者と指揮者の間に起こる齟齬を整えていく部分と
二つの意味合いを持つ練習だった。
午前中から、もしくは、合奏後も時間を捻出してアンサンブルをすすめている仲間は、頑張りやさんなマ族だな、と思ってたら
似たような二足のわらじを履く行為は、そこかしこにあった。以前からこの言葉は、ブログで多用してきているが、ほんとに、イロイロ、多いのだ!

たとえば、
JMUの舞台を観ていると
Metisのように、この為だけに結成される団があったりする。

普段でも、二足、三足と忙しいかたが、ここにも入るわけで。
いや、普段は一足もはいてないが、たまには、はいてみるか、と言う人もいると言うから驚く。

つまり、わらじは、しょっちゅうでも、たまにでも、一足でも、何足でも、なんでもありなのだ。

話が戻るが、奏者と指揮者の齟齬は丁寧に合わせていくことで、メリハリや音色の加減もずいぶん変わる。また、作曲者からの思い入れをきいたりすると、そこにあるそれもお互いが寄り添いあるべきかたちに整う。
音楽は空気の振動なのだけど、楽譜、指示、文字、思い、妄想、イメージ、イロイロ可視化することで音楽として形作られていくんだな、と思ったりした。

そんなイロイロな手順を踏んで、東海地区のマンドリン団体がたかが15分、されと15分のステージに腕前を奮いに来るのがJMU 。今年の開催は4/13。東海市芸術劇場でした。

会長の挨拶で、『大阪ではなく、ここを選んでくれたことに、まず感謝します(万博!!)。10余の楽団がいろんな種類の楽曲をそれぞれの団の色で表現してくれますので、どうぞゆっくりお楽しみください。』
と、お話をし、
『ロビーに楽器があります。
慣れ親しんだかたが多いと思いますが、気軽にさわってもらえるよう、楽器とピックと消毒がおいてあります。聴いてみて、弾いてみて、気に入ったら、是非、入っていただければ、と思います。』
と、
すごく大きな括りで勧誘!!をし、
でも、

締め括りには
『本日の演奏会で、マンドリン音楽に興味を持っていただけたら幸いです。』
と、軽く微笑む。

敷居が低く、懐が深いのがマ界のよいところ。

音響のよい東海市芸術劇場の力を借りて、より多くの人がマ界にズブズブとはまってくれたら幸いだなぁと思うのでありました。

meets.は続くよどこまでも。

本日は、交流会での初見合奏にビリビリしびれたドラのなべちゃんでした。
あの緊張感で、指揮者も楽譜も刮目する緊縛感がたまりません。