本当に大切なもの

アイドリングストップっての、ご存じでしょうか?
ブレーキを踏むと、無駄なアイドリングをしないように、エンジンが止まって、待機してくれる、あれ。
わたし、前の車、バッテリーが電圧低くなりすぎて、アイドリングストップからのエンスト、でJAFをよんだことがあった。右折帯で動けなくなった私は、呆然とディーラーを恨んだものでした。

さておき、
今日モチーフ君が「 休符を 演奏する」 という哲学的な表現を使った 。

つまりはこうだ、
お休みを
「なにもしない(停止)」
とすると、流れが淀み
継続的なリズムが分断されて、音楽が滞る
と言うのである。
休符を頭のなかで演奏することで、リズムを停止させることなく、安定して動かすことができるのだと。

音拍の流れは、緊張感のある休みを含める。

話を戻すと、アイドリングストップの車の走り出しは、アイドリングの車の走りだしと何ら違わないものであろうか?ということで。

「休符を演奏しない 」ことで 音の流れが 歪み、音楽全体の調子を狂わせていく。

もしかしてよ、目に見えないいろんなことの意識が、疎かだったとしたら。

音という表に出てくるものだけではなく
休符であったり
曲の背景だったり
日々の個人練習であったり
それぞれのパートの音を感じながら弾くということであったり…。

見えないところの細かな積み重ねが 大きな流れになって成果(音楽)を生むのではないだろうか?

そうそう。
合奏中うっかり入り損ねたベーシストN を指差し、
「おきょうさんだったら指揮棒が飛んでるぞ 」
という発言を聞いて
イケメン(若)の目力は男には効かないんだな
っていうのと
いなくてもイケジョの存在はでかいんだな
というのを感じた。

つまりは
目には見えず、耳には届かないちからが、各所に流れているわけで。

他にも
勇者アマビエが、王子が遅刻と聞いて、緊張が抜けなかったこととか、
低気圧にやられてメーテルが青い顔してたけど爆音ギターの音ミスを見つけ出したりとか、
各パートの音バランスが良すぎてコンマスえのきくんは片付けのお掃除をしながら譚詩をふんふんと鼻唄していたり。
まぁなにかと話題につきない練習でありました。

ミーツは続くよどこまでも 。
本日もドラのなべちゃんでした

二十年後♪

今日は、伏見の電気文化会館 ザ·コンサートホールで行われたマンドリンアンサンブルHIRADの第24回定期演奏会へイケジョと行って参りました🎵

新旧入り交じる二部構成全八曲
に、
超とびきり難しいアンコール二曲
と言う、
コンダクター原さんに言わせると「心象風景を思い馳せるに十分な 」「はっきりしたテーマを持たない」選曲で、頭から煙が出そうな分厚さ。
なのに
パーカッションや管をあわせても、たったの18人。

ひとえに
指入れの根気良さ
ダイナミクスの大胆さ
タクトさばきの軽快さ
によるところでして。

見所のおおい、素敵な演奏会でした。

コロナ対策のひとつとして、原さん、トークのときはシールドをはめてらしたのですが、アンコールの頃には、気持ちの高まりが強すぎてか、なかなかシールドが掛からないだけではなく、メガネが飛んだり、シャツがズボンからはみ出したり。

あぁ、
この一年、待ちに待って、溢れちゃったんだなぁ。

そんな様子を見ながら、
イケジョがポツリといったのは

これは、ミーツの二十年後の姿だ…。

今も、若い団体に負けない選曲の幅、パワーや甘さを感じられる音色の妙、舞台を狭しと体を震わすコンダクター、

趣味が人生に
人生を趣味に

心地よく軽やかに末長く音楽とふれあう。

目を閉じると
前来たときと何も変わらない
命溢れる音色。

二人で
20年後のミーツ
という心象風景を描きながら家路についたのでありました。

20年後も

おまえらがよろこんでどーするーー
私を喜ばすんじゃーー

とか、叫んでくださいね♡イケジョ。

ミーツは続くよどこまでも。
本日はドラのなべちゃんでした。

今年も春来たる…という事でいっちょう祭りでもやってみるかー♫@“meets”

桜の季節ももう終盤
花びら模様の車が行き交う小雨の中
4月最初の練習の開催です

こんにちは
時々出没気まぐれライターK子です✨

“meets”は優れた書き手がいるので、本来お鉢は回ってこないのですが、そもそも鉢を回して欲しくないK子のブログはレアもの(個人の意見)
今日も元気にmeetsの一日ををお伝えしちゃうよー♫

今回の練習はいつもと趣向を変え
「Aquamarine祭り」なるものを開催

我が団の誇る指揮者たちが、我が団の誇る若き作曲者の曲を、4人で連携&連投し作品のもつ魅力を探究する
そんなスペシャルな企画です✨

過去の偉大なる作曲家たちは、自分の作った音楽を自ら演出し、公の場で披露していました
彼らの死後、作品を後世に引き継ぐ手段として、総譜と指揮者が誕生したと歴史は語っています

作曲家にとって楽曲は自分の脳内そのもの
表現の指示は示されていても全てではなく
体現する指揮者の個性で出来上がる曲は本来とは違う顔かもしれない
でもね、生みの親はその時生きてないからね、答え合わせはできないのです

私たち”meets”には、リアルに「作曲者」が「そこ」に「居る」のです! 
それも同じ団員…興奮でしかない
音楽に触れるものとして、こんなチャンス逃せません✨
K子のブログのレア度かるーく凌駕して宇宙まで行っちゃう勢いとはまさにこの事

アクアマリンのキラキラと光る透明なブルー
海の色、空の色、私たちのいる星の色

奏者と指揮者ひっくるめてあなた(作曲者)のブルーに染めあげてもらいましょう♡

どんな輝きの宝石になるかは今年の夏にお披露目となります

それではまたここでお会いしましょう

K子でした✨