アイドリングストップっての、ご存じでしょうか?
ブレーキを踏むと、無駄なアイドリングをしないように、エンジンが止まって、待機してくれる、あれ。
わたし、前の車、バッテリーが電圧低くなりすぎて、アイドリングストップからのエンスト、でJAFをよんだことがあった。右折帯で動けなくなった私は、呆然とディーラーを恨んだものでした。
さておき、
今日モチーフ君が「 休符を 演奏する」 という哲学的な表現を使った 。
つまりはこうだ、
お休みを
「なにもしない(停止)」
とすると、流れが淀み
継続的なリズムが分断されて、音楽が滞る
と言うのである。
休符を頭のなかで演奏することで、リズムを停止させることなく、安定して動かすことができるのだと。
音拍の流れは、緊張感のある休みを含める。
話を戻すと、アイドリングストップの車の走り出しは、アイドリングの車の走りだしと何ら違わないものであろうか?ということで。
「休符を演奏しない 」ことで 音の流れが 歪み、音楽全体の調子を狂わせていく。
もしかしてよ、目に見えないいろんなことの意識が、疎かだったとしたら。
音という表に出てくるものだけではなく
休符であったり
曲の背景だったり
日々の個人練習であったり
それぞれのパートの音を感じながら弾くということであったり…。
見えないところの細かな積み重ねが 大きな流れになって成果(音楽)を生むのではないだろうか?
そうそう。
合奏中うっかり入り損ねたベーシストN を指差し、
「おきょうさんだったら指揮棒が飛んでるぞ 」
という発言を聞いて
イケメン(若)の目力は男には効かないんだな
っていうのと
いなくてもイケジョの存在はでかいんだな
というのを感じた。
つまりは
目には見えず、耳には届かないちからが、各所に流れているわけで。
他にも
勇者アマビエが、王子が遅刻と聞いて、緊張が抜けなかったこととか、
低気圧にやられてメーテルが青い顔してたけど爆音ギターの音ミスを見つけ出したりとか、
各パートの音バランスが良すぎてコンマスえのきくんは片付けのお掃除をしながら譚詩をふんふんと鼻唄していたり。
まぁなにかと話題につきない練習でありました。
ミーツは続くよどこまでも 。
本日もドラのなべちゃんでした