曖昧を考察する

今日は、朝から川越公民館にこもり、楽器や楽譜と向き合います。
本番が近づくと、
ゆかりのある先生に演奏をきいていただき助言、ご指導を賜ると言う
抜き打ちテスト的な
いや、
特別夏期講習的な
そだな、
そんな日が訪れます。

今日は、モスグリーンで大人にキメた酒井国作先生の日です。

「コロナ渦で
久しく合奏と言うものをきいてなかったから、皆さんの演奏をきくことで、思い出しました。

と、ここまでは、いい事で…。」

わお、わおお!!!

モスグリーンが、なにかおっしゃるぞ!!!

「曖昧は、いけません。」

曖昧?
曖昧とは?

ネットで調べる。
ふたしかで、うやむやで、あやふやで、漠然としてて
おぼろげで、どっち付かずで、煮えきらない態度で
要領を得ない

ふむふむ。するってえと、あれも、そうか。

私のこと好き?

あ、あぁ、このテレビおもしろいね

ちょっと!なによ、曖昧な言い方しないでよ!
わかんないじゃない!!

の、あの、曖昧か。

そんなことを悶々考えてるうちに、スコアを手にちょっといい?と、お話が始まります。

「ピアノと、曖昧はちがうよ。」

小さく弾く。
何となくフワフワ~と入る、とは書いてないよ。アクセントがあれば、きちんとヨウカン型の音を出さなきゃいけない。
そこで、なにがしかが奏でている存在感をちらつかせないといけない。休みではないわけだから。

「二つ並ぶのは緊張感を持つ、と言うこと」
音を出すときに、緊張感を持って奏でる。廻りから、一歩出るように、または、前後より明らかに違う場面に入ったように、ちゃんと変化する。ppとか、ff
とか、ね。

「前後5小節だけそつなく弾くのではなく、全体のバランスを通してみよう。」
フルマラソンの走り方みたいな感じかな、がーーっと走り込んで、ヘタるのじゃみっともないよね。てっぺんとか休憩所とか、ちゃんと心得て、弾く。

つまりは、
曖昧はダメなんです。

音楽でも
人生でも(これは、私が思った事)

って話だった。

緑が好きな人は、
控えめで、辛抱強く、洗練された趣味を持っている人のようで。

優しい語りに隠された
曖昧さを許さない強い心は
モスグリーンのマスクに隠されていたのだろうか。

こうなると、もう、次の小林先生の言葉も、楽しみです。

本番まで2ヶ月を切りました。
本腰入れて、がんばるよー🎵

最近、参加者が安定してきて、ワクドキです。

meets.は続くよどこまでも。


ステマネをしてくださる長谷川武さんもきて下さって、本番を強く意識せざる得ないーーーっ、と興奮さめやらないなべちゃんでした。

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