そう、今日は、前回のブログにも書いた壁祭の日。
厚手のパーカーにスリムパンツ、団員でありながらの作曲家。薬指にはパパの証が光る。
爽やかさは、左側頭部の毛束感にも。憎めないかわいさがただよう。
早速、曲解説が滑り出す。
「『音形』の提示で、要所で繰り返しでては来るのですが、旋律は持たずあくまで、添え物。それがマンドリン。中低音がメロディーを回すんですよ。」
「西洋音楽の形式で書かれてはいるが、あくまで雅楽のような日本にある伸び縮みする拍感で。」
「それでもいい、と言うか、できれば、さらっと。音量的にも、拍感的にも。」
「『壁が現れる』は、モチーフがバラバラと耳に飛び込んでくる混沌が、突然、音が整然となる。で」
「1は黒く、2はロマンチック。間にお口直しの1.5。」
言葉数は少なく控えめなのに、曲のイメージが塗り替えられていく。これがこの曲の色だったかと確信していく。
音色、とはよくいったもので、今回モチーフ君は、絵画を作る手法で曲を準備したのかと思うほど、表現が芸術的だった。
『まどろみから目覚める時の、白とも黒ともつかぬように、行きつ戻りつ音の濃淡がよぎる』とか
『音は12音形でとらえることができて、それを全てのせる事がこの動きで可能になるわけで』とか
印象派か。モチーフ、あらため、モネ。
祭は、第二段もやってくる。わくわくがやまない。
meets.は続くよどこまでも。
本日は、他の曲も合奏してるのにモチーフ君の毛束の事が書きたすぎて、壁に集中しすぎたなべちゃんでした。