説教、念仏、それらの望みは。

毎日寒いね。
スキーも温泉も、呑んだり食べたりも、
なぁんていい時期が来ましたねぇ✨

今日、なべちゃんは報恩講でして、
正信偈を声高らかではなく、感染をかんがみボソボソ声で唱和してから、説教を受けました。
説教の内容が「念仏とは?」でして、念仏は自分の願いを叶えるための呪文でも魔法の言葉でもなく、十悪にまみれた自分にきづきなさい、という仏の願いなんだそうです。
ふうん、お願いばっかして、私、エゴの固まりやったんやなぁ、と反省してからの。
そんな、
本堂できんきんに冷えた身体を、インド人の作るカレーで温めてから、練習へ。

すると、スコアとにらめっこしながら、奏者と言葉を交わし曲を組み立てていく指揮者の姿があるわけです。

聖人の言葉が思い出されます。

本来、念仏には仏の願いが書かれており、「人の持つ杓子定規で物事を図りなさるな」と言っておるのです。
それを思い出すために、人は念仏を唱えるのです。

ちょいまてよ…。

私たちが練習に来るのは、
自分の馴れで好きなように奏でるのではなく、
スコアの指し示すように、
くすしく組まれた音の波を思い出すために合奏の場があるのでは、と。

イケジョ聖人と
メーテル聖人による
心地いい説法が
私たちを音楽の国へ導いてくれてるのでは、と。

あぁ、
こんな心地のいい説教なら、
音楽の国に導いてもらうのも、ありかも。

なまんだぶぶ、なまんだぶぶーーー

ミーツは続くよ、どこまでも。

今日は、ドラのなべちゃんでしたー♪

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